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不機嫌な正義

「私、間違ってるっ?
普通、常識ではこうでしょ!
親切さが足りないでしょ!
こうするべきでしょう!!!!
改めるべきでしょ!
どうして分からないのっ!!!!!!!!」

 

 

 

「そう。
本当に、あなたの言う通りよね。
そう思うわ。」

「それで、
あなたは今、幸せ?」

─…─…─…─…─…─…─…─…─…

先生でも、
学生でも、
職員でも、
街を歩く人でも…、

そして、
かつての私自身も‥‥

『正しさ』を主張して
正義を振りかざし、
正義であることが
立派であること
上等な人間だ
と、
悲しいまでに、叫んでいました。

でも、
お気づきでしょうか?

『正義』を主張し
『正しさ』を訴える人たちの多くが

なんて
不幸せそうな顔をしているのでしょう。

眉間に濃い縦皺が走り、

口角は下がり、

いつも不満そう‥‥。

今、主張していることが通っても
また次の
『世直し正義』を見つけては
周りに噛みついていく…

正しさを見つけるたびに
正しさを主張するたびに

不幸せを繰り返す。

だんだん周りから
人が居なくなることに
気付かずに。

『正しい』って何でしょう?

こんな話を聴いたことがあります。

まだカースト制度が色濃く残る
インドの村で
若い母親が
生まれたばかりの赤ん坊の腕を

「ナタで切り落とした」

私たちの常識では
私たちの「正しさ」「道徳」によれば

虐待で即、逮捕です。
大事件です。

でも、
その村では…

それは、
母親の「愛」だとして
受けとめられ、理解されました。

どうしてだと思いますか?

カーストの最下層に生まれた子供は

どんなに才能があっても
決して、上には上がれない。

教育も受けられない。

稼げる仕事にもつけない
(カーストによって仕事の種類も決まっていたのです)

ならば、
五体満足でいるより
障害があったほうが

観光客から
憐れみを受けられる可能性が高い。

だから‥‥

だから、母親は
そうしたのだと。

そのような世界の中で
「それは間違いだ」
「私が正しい、あなたがたは間違っている」
と主張しますか?

自分の「正義」を持ち出して
怒りをぶつけるだけでは
何も変わらない。

誰も幸せにならない。

私たちは
今、この世界に居て

「選ぶ」という自由を手にしています。

それは、もしかしたら
とてもとても

恵まれていること。

本当に。

「これが正しい。
これは間違っている。
だから
こうするべき。
こうあってはならない。」
と、正しさを追い求めると

自分も窮屈になっていきます。

正しさよりも、楽しさを。

正義よりも、寛容さを。

批難することよりも
喜び合う心を持っていたい。

そんなことを
感じた一日でした。